債務整理コラム

守る順番を考える

何に価値を置くかは人それぞれですが、借金問題において大切なことは、借金の返済を続けながらもいかに生活を維持できるかと言うことです。価値観の多様化とは言え、この点の順番を間違えては今後の再建がやりにくくなります。

「衣食足りて礼節を知る」は有名な故事成語です。ある程度の物質的な充足が満たされて初めて人は心に余裕ができます。そしてその余裕によって人は、礼儀や人を思いやる心を養うことができると言った意味合いが含まれています。しかし日本社会では本音と建前と言うものがあり、ときに「武士は食わねど高楊枝」と言うように自分を殺してでも名誉を重んじたり、また公を生かしたりすることを美徳とする節があります。

では借金の返済においては何を守り、どこまで自分を抑えればよいのでしょうか。これは自分の「欲」に順位をつけることでわかりやすくなります。なぜなら、お金には欲望を充足させる面があるためです。一般的な人は毎月のお給料の中から、家賃や水道光熱費・食費を払います。さらに貯金をし、交友関係を維持します。それでもさらにお金に余裕ができたのであれば、ときに車を買ったり、旅行をしたり、ブランド物の製品を買ったりします。

ところが収入がないのに体裁ばかりを取り繕おうとする人も世の中にはいます。そうするとどうなるか。「武士は食わねど高楊枝だから」とばかりに外面ばかりを重んじた結果、借金は増え続けます。例えば家賃・水道光熱費・食費は切り詰めるだけ切り詰めて、見栄を張るためにオンボロの外車を買ってみたり、交友関係で自慢するために飛行機のファーストクラスで海外に旅行にでかけたりしてしまうとどうなるでしょう。極端な話をしているようで、世の中にはこのような人が珍しくありません。もちろんこれに借金が加わればどうなるか。借金とは人が最も顔を背けたい側面であるため、当然放置してしまいます。もちろんその間金利は嵩んでゆき、やがて大変な事態が勃発すると言うことになりかねないのです。

欲望の順番をわかりやすく定義しているものとして、マズローの欲求5段階説と言うものがあります。有名な定義ですのでご存知の方も多いことでしょう。

  1. 生理的欲求(Physiological needs)
  2. 安全の欲求(Safety needs)
  3. 所属と愛の欲求(Social needs / Love and belonging)
  4. 承認(尊重)の欲求(Esteem)
  5. 自己実現の欲求(Self-actualization)

人間の欲望は、1から順番にピラミッド型に積み上げられており、上にゆくほどに理性的・高次的、1に近くなるほどに生理的・原始的なものへとなっています。

翻ってみて借金問題は上述のすべてに関わっています。額が大きければ大きいほど下位の欲求を侵食し、債務者の生存を脅かすものとも言えるでしょう。「武士は食わねど」に代表されるような名誉とは、4番目の「承認」や、場合によっては5番目の「自己実現」に関わるものです。

しかしお金がなくて今日を食べるのにも事欠くと言うことは、1番目の「食欲・性欲・睡眠欲」のような自己保存の本能にも関わってくることになります。想像してみてください。逆ピラミッドのような形をしたものが地面に刺さっている姿を。常にぐらぐらと揺れる中で少しの風でも吹いてしまえばたちまち崩れてしまう。このような不安定な生き方をしている人がまっとうな日常を送れるとは思えません。

借金と言う面からこの欲求を考えてみると、たとえかつて百年先のビジョンを打ち立てた大企業の経営者であったにせよ、日本の国政を動かした大政治家であったにせよ、今借金で首が回らず、自分の生活をきちんとさせることすらおぼつかないのであれば、まずは5番目のような自己実現や社会貢献の欲求は捨てるべきです。そのような事柄は、しばらくの間は心の中で温めておいて、まずは借金をなくし、自分の生活がきちんとした後に行動に移るべきなのです。

これは当たり前と言えば当たり前の事柄です。しかしそれがちゃんとできないのが人間です。例えば8月10日のコラム「箔・用・あそび」にて述べたように、中身のないところに周囲からの尊敬や名誉が欲しいと望んだところで、それは本人の自己満足に過ぎません。チンピラ予備軍の子どもたちが、知識もお金もない中、目立ちたい一心でビカビカ光る電飾のバイクを乗り回し、本人は箔がついていると思うその惨めさを想像してみれば一目瞭然でしょう。

では、手元に戻ってお金がない場合には何を抑えるべきか。5番目のような「人間として理知的に、より深く、より高く」と言うような欲求は、市井に生きる我々としては衣食住がある程度安定しないとなかなか芽生えてきません。4番目の「自分はすごい/偉い/素晴らしい。その裏付けとして周囲からの尊敬の眼差しを集めたい」と言った欲求に関しても当然抑えてしかるべきです。お金がないにも関わらず、自分の価値だけは極端に高い人は山ほどいます。人は誰でも自分だけは特別と思う傾向があるからです。しかしそれが一線を画するほどに強まると、無意識にお金から顔を逸らし、例えば腕力に訴えたり、社会貢献を通じて名声を得たりすることを夢想したがります。もっと低いレベルで言えば先のチンピラ予備軍のような行動に出ることもあるでしょう。

この次にお金がなくなると厳しくなるのは3番目の交友関係です。信頼できる人々と築いてきた関係をお金によって台無しにするのは本当に悲しいことです。しかし、それであっても衣食住に変えることはできません。借金を返す手段がない場合、自己破産を取る方法もありますが、よしんばそれを行ったとしても、常識の範囲を超えた贅沢をしていない限り、一般の消費者金融ですら債務者の衣食住にまでは踏み込んではこないのが一般的です。 ただし、ヤミ金のような犯罪組織や一部の悪質な債権者はここをも責めてきます。ヤミ金は人と人とのつながりと言うものがいかに大事であるかを熟知しており、債務者の家族や交友関係と債務者とのつながりにヒビを入れることで、それまで築いてきた債務者の信頼を壊そうと目論んでくるのです。もしここに問題が生じるようであればヤミ金対策を講じてしかるべきですが、何か理由があってそれを行わないのであれば、場合によっては自己の生存を優先し、周囲との信頼関係を断ち切ることをも考慮しなければなりません。

次いで残る1番目・2番目の「生存欲求」と「安全欲求」は日本国内ではほとんど同義にされています。これがないと生きていくのすらおぼつかないレベルであるためです。ただ漠然とではあるものの、お金がない場合には犯罪へのリスクは増大してゆき、また、それに合わせて生存へのリスクも当然上がってゆきます。これは高級住宅街の方が犯罪発生率が低いことからもわかります。

端的に結論を述べましょう。「名誉」でお腹はふくれません。周りがいかに褒め称えても社会貢献を続けた挙句、餓死してはどうしようもありません。物事には順番があるのです。厳しい借金を負い、それを自分で何とか返済するつもりならば、体面を保とうなどと考えず、まずはなりふり構わずにお金の工面をすべきです。

ただし、人は一人では生きてはいけない動物です。人と人とが関わりあうからこそ社会は生まれ、またその社会の一員として私たちは日常を過ごしています。だからこそ、この社会で生きる私たちに、政府は社会に生きる人間としての体裁を保たせつつ、同時に生存や安全も確保できる方法として、債務整理を許可しているのです。

この点をしっかりと突き詰め、債務者が守れるべきものをより多く増やせることにこそ、債務整理業者としての意義があると思っております。

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