債務整理コラム
『あたりまえ』の原則
このコラムをお読み下さっている方は借金を返済したいと考えているでしょうか。あたりまえですね。借金を持ち続けたいと考えている人などはおりません。
では、どうしたら借金を返済できるのか。答えはシンプルです。一つは毎月の収入のうちから少しずつ返済を続ける。その収入の一部を返済に割り当てることが厳しいと感じた場合、もしくは収入が目減りしてこれ以上返済ができないと感じた場合、債務整理を行って金利をなくしたり、債務を圧縮したりする。この二つしか借金の返済方法はありません。 お金を借りたら返す。返せなければ法的な手続きを行う。あたりまえのことです。ところが借金の返済に行き詰まりがちな人は「どこかに第三の方法はないものか」と目を皿のようにして辺りを探し回ります。挙句の果てに少ない手持ちをすべて競馬に注ぎ込んでみたり、詐欺師グループの口車に乗せられて犯罪に加担してしまったりすることが往々にしてあります。
以前のコラムではこのような「第三の方法」に目を向けてしまう債務者の心理とその結末について記しました。厳しい言葉を述べるようですが「返済」もしくは「債務整理」以外の方法で借金から逃れようとすると必ず悲劇的な結末を迎えます。たとえその場しのぎで借金取りから逃げ果せたとしても、自分自身からは逃げられません。必ずどこかでボロが出てひどい目に遭うことになるのです。
では「返済や債務整理」を行う人と「それ以外の方法」を選択する人とでは何が違うのでしょうか。それを一言でくくると「がまん」ができるかできないかなのです。
「がまん」と言うとあまりにも幼稚に聞こえるでしょうか。私はそうは思いません。借金を返済する人は月々の収入の中からがまんをして返済をします。ほしいものがあっても買わず、食べたいものがあっても堪らえ、恋人に遊びに誘われてもぐっと歯噛みをしてお断りをすることもあるでしょう。債務整理だってもちろんいくばくかのがまんが必要です。自分で司法書士事務所を調べ、会ったこともない書士に自分の借金状況を話し、法的な手続きを行います。相当な思い切りが必要なのはよく分かります。世間体だってどうしようとも心配になるはずです。また大幅に減ったとは言え、残債を時間をかけて返済するのです。
インターネットを閲覧していると、ときどき借金を返済中の人たちの掲示板に突き当たることがあります。それらの中には「何年かかけて借金がここまで減りました。あと数ヶ月で完済です。みんな、がんばりましょう」と言った書き込みが見受けられます。きっとその人は懸命に日常生活をがまんして、借金の返済をがんばっているのでしょう。お互いに声を掛け合い、励まし合って借金を返している人もいるのです。債務整理に関係がなくとも、このような人は応援したくなります。
がまんができないのは弱い人です。弱い人は満たされないから声高に自分の権利を主張します。強い人は権利を主張しません。そのかわりに権利の反対にあるものを遵守します。世間ではそれを「義務」と述べるようですが、個人単位でそれは「責任」です。日本的な文化で述べるところの「恥」の概念と言えばわかりやすいでしょうか。
ある零細企業で社長をしていたKと言う社長がおります。現在の不況によってこの会社もご多分に漏れず、厳しい経営状況に追い込まれてしまいました。企業において最もコストがかさみがちなものは人件費です。このため、K社長は能力のある少ない社員だけを手元において、他の社員たちを全員解雇しようと考えました。そのためある日、社員全員を集めてこのような話をしました。
「我社は今、大きな危機に直面している。ウォール街が自分たちの都合の良いように株価を操作し、国は我々を救おうとせず、さらに私がこれほどまでにがんばっているのに社員のみんなは給料が貰えればいいやとばかりに好き放題する。私としては到底そんなことは許せない。これから先、このような経営では我社はやっていけない。だから、能力のある人を残して他の社員には辞めてもらいたい」
その結果、この会社は思いの外早く倒産しました。それは社長の演説を聞いた直後から能力のある幹部社員から真っ先に辞めていったためです。会社とは社長の理念をかたちにするための仕組みです。それに賛同する人々に責任をなすりつけ、社長は自分は悪くないの一点張りだったのですから、社員たちから見捨てられるのも無理はありません。
人の上に立つ人は人よりもがまんをしなければなりません。借金の返済もまた然り。人よりもがまんができればできるほど、借金は早く消えてゆきます。もっとがまんすれば、借金の返済どころか、今度はお金がたまってきます。
東日本大震災の大津波で甚大な被害を被ったある町があります。震災後、町の人々は皆怖がって避難先から戻らなくなりました。しかし、この町には千年にもわたるお寺を構える、あるお坊さんがおりました。町の誰からも慕われるこのお坊さんは震災後にこう述べたそうです。
「誰かが町に戻らなければ、町はすぐに潰れてしまう。誰かが戻れば、また少しずつ人は戻ってくる」
そう言ってお坊さんは一人、お寺に戻り、ガスも水道もない、真っ暗な中で生活を始めたそうです。それはとても辛い生活だったはずです。がまん、がまんの連続です。しかしその結果、町の人々は「住職さんが戻ったのだから」と一人戻り、二人戻り、次第に町はまた少しずつ元に戻り始めたそうなのです。
このお坊さんは後に「まず最初に小さながまんをする。一つがまんをすれば、次のがまんがやってくる。次のがまんをすれば3つ目もがまんができる」と述べました。
がまんしましょう。成功者はがまんをします。失敗する人はがまんをしません。同様に借金と引き換えに好きな生活を続けるか、借金の返済や債務整理と言うがまんと引き換えに、そこから学んだことを人生の糧にして、やがて誰からも尊ばれる立派な人になるか。そこが成功の分かれ道となるのです。