債務整理コラム
債務整理に手をつけにくい中流意識
「借金を負っているので、生活が苦しいです」と述べる人がいます。他方で「生活に不安はないものの、毎日が退屈で充実感がない」と述べる人もいます。このコラムをお読みの方であれば、どちらかと言えば前者が多いかもしれません。そしてそういう人たちは可能であるならば、後者の方へと発言をシフトしたいと思っているはずです。
「借金を負っていて生活が苦しい」と言う人に債務整理を勧めても、それを肯(うべな)う率は必ずしも高くはありません。他人から見れば任意整理を行うだけで生活は格段に楽にかつ豊かになるにも関わらず、彼らとしては渋い顔をして「ご縁があれば」と言うようなかたちで逃げてしまいます。
以前のコラムで人間と言うものは環境に執着してしまうため、現状を打破しにくいものであると言う趣旨のことを述べました。その傾向の強い人は自分の立ち位置を明確に把握しておらず、またそれにより自分の未来について明確なビジョンを描きにくいところがあるようです。
借金を負って生活が少々苦しい方や、急病や冠婚葬祭など、突然の出費になった際にてんやわんやになりがちな方は、その状況を脱するため、曖昧でも良いので自分の三年後について、次のような想像を馳せてみましょう。
- 毎日が豊かで充実しており、お金にも不自由していない生活
- 現状のままだけど、何とかやりくりを続けている生活
- 借金がかさみ、どうしようもなくなってしまった生活
この3つのシナリオはどれもあなたの未来に起こりうるものです。
(1)については言わずもがな。ある意味で恵まれた人生の人だと言えるでしょう。
(3)はあまりよろしくないシナリオですが、債務整理を行う方と言うのはどちらかと言えば切羽詰まった人が多く、やはりこの層が多いのが実情です。
(2)の層が今回の焦点。彼らは少々生活が厳しくても「何とかなってしまう」枠組みの中に自分がいるため、まるで自分がごく一般的な中流階級にあるような気持ちに浸っています。しかしこれはニートの錯覚と同じです。彼らは何の仕事もせずに日がな一日インターネットで遊んでふらふらしていますが、インターネットで人と会話できるために、まるで自分が一般社会の一員になったような気持ちを抱いています。そして帰属意識があるためになかなかニートから脱却できないと言う悪循環を抱いています。
借金を負っているものの、とりあえず明日は迎えられると言う意味では(2)の層の人々は中流かもしれません。しかしいわゆる「中流階級」の中では最下層。限りなく(3)に近い位置づけに自分がいるのだと認識しなければなりません。
では、この(2)の最下層から、明確な(2)の層へ、あわよくば(1)のベストシナリオへと乗り移ってゆくためには何をすれば良いのでしょうか?
それは環境そのものを変化させてゆくことです。類は友を呼ぶとの言葉通り、人間は似たり寄ったりの仲間と群れたがる傾向にあります。しかしそこで思い切って(2)の上の方にいる人々と親しんでみましょう。初めのうちは居心地が悪くとも、慣れるに従い、目から鱗が落ちるような体験が数多く待っているはずです。できればいきなり(1)の層の仲間入りを果たしたいところですが、彼らに対しては金銭面や価値観などで大きな開きが生じます。ですので、ぎりぎり背伸びをして届く層に触れ合うことが肝心なのです。
武道で考えてみてください。初段の友人たちと群れて毎日わいわい楽しくやっている生活と、五段六段の人々に指導されながら、惨めで至らない自分の腕前を自覚して稽古に励むのとでは、どちらが上達するでしょうか。その差は一年もかからずに目に見えてわかるようになるはずです。しかし、いきなり達人たちに稽古をつけてもらうのは体力的にも技術的にも開きがあり、また達人側としてもあまりにも能力の低い人に稽古をつけてあげるのは面倒なはずです。ですので、まずはある程度共通点のある二段・三段の先輩たちに指導してもらうと言うのがベストシナリオだと言うことです。
自分が中流であると思いつつも借金生活に浸っている人が、借金を減らし、充実した人生へと向かうための起爆剤は「惨めさ」です。これはけして良い気持ちではないかもしれません。しかし借金を減らし、人生を成功へと導くための実感としてこれ以上のものはないはずです。そして、本当に身にしみて自分の至らなさを実感したのであれば、さっさと債務整理をして借金をなくし、一気に成功への流れに乗る決意を固められることでしょう。