債務整理コラム
法の壁
先日、銀座を歩いていたところ、工事現場に出くわしました。敷地のぐるりは薄い鉄板で高く囲われていたのですが、この鉄板は黒・緑・黄色と歌舞伎の引幕の配色がなされており「ああ、ここに歌舞伎座があったんだな」と一目で分かるデザインでした。
歌舞伎座は大正時代から続く建物で、現場の人々も誇りを持ってお仕事をされているようでしたが、逆に旅行などに赴くと地方の山稜の付近などで「ここでは何をしているのだろう」と首を傾げたくなる工事現場と出会うこともあります。とくにインフラのムダが多かった90年代などでは「まったく意味のない工事現場」は山のようにありました。
工事としては意味がありませんが、このような場所は「借金を持った人」のための施設であるとも言えます。皆様は「タコ部屋」と言う言葉を聞いたことがないでしょうか。「タコ部屋」とは何かと申しますと、借金を負っていたり、仕事がない人たちを働かせたりするための施設です。彼らは闇金に売られたり、手配師と呼ばれる暴力団絡みの人間たちに声をかけられたりして連れてこられることが多いようです。狭苦しい部屋に何人もの人々をつめ込まれ、食事も作業道具も暴利で買わされます。現場は高い塀に囲まれており、脱走を目論んだらリンチを食らうなどと言うこともあるようです。朝から晩まで「ネギリ」と呼ばれる穴掘りをさせられますが、その行為に何の生産性もありません。工事をした「痕跡」があると言う事が重要なのです。
なぜこんな事をするのかと申しますと、政治家が公共工事を決定し、談合により指定されたゼネコンが引受け、それを下請けに丸投げし、下請け・孫受けが労働者を募るためです。これにより、政治家から下請けまでが予算の中間搾取を行う事ができます。「借金をたちどころに返せる」と言う甘い言葉に乗って犠牲になるのは労働者となった元債務者だけ。いくばくかの金額はもちろん支払われるのでしょうが、逃げ出す事もできない環境の中、350mlの缶ビール一缶3千円などと言う金額で販売しているのですから、彼らが実際に借金を返せるかどうかは定かではありません。
これらの行為はもちろん違法です。人道的に見ても到底認められるものではないでしょう。しかし「返せる」と言う前提でお金を借りて返せなくなった挙句、闇金のような法の壁を乗り越えた世界からお金を持って来ると、そこから先はまったくお話が異なってしまうのです。善悪に対しては様々な価値観がありますが、仮に善悪と言うものを取り払って法律を「ルール」と言い換えるのであれば、ルールを破ることそのものはイコール「悪」とは言い切れません。しかし「ルール」を破ったその向こうは一般の人では到底たちうちできない圧倒的な「力」のみが存在します。そしてそれを、徒党を組んだ者たちが行使するから「暴力団」なのです。これを個人でひっくり返せるなどと考えるのはあまりにも考えが甘いと言うもの。まんがの主人公にでもならない限り、一度闇金に手を染めてしまえば後は破滅の道が待つだけです。彼らは債務者に対し、狭い場所で10時間でも20時間でも延々と借金の返済を迫ります。警察を呼んだところで無駄です。その場において、法的には違法行為を行なっていないため、民事不介入と言うことで相手にもしてもらえない事でしょう。なぜなら彼らも「ルール」を熟知しているためです。だからこそ多重債務に陥ったからと言って、闇金などに関わるべきではないと強く申し上げる事ができるのです。
「法の壁」は歌舞伎座の工事現場のように目を楽しませるものではありません。むしろとかく肩苦しく聞こえがちなものでしょう。しかし、それによって私たちは守られていると言うことだけはゆめゆめ忘れてはなりません。