債務整理コラム

つぶれた紙

債務整理は人間ドラマだ」と当方のコラムで前回申し上げました。 警察官が窓を叩き割ると言うことはさすがに他にはありませんが、実際にドラマを感じさせるケースは珍しくありません。

中でも緊急でお客さまから呼ばれて駆けつけてみたところ、すでにもぬけの殻だったと言うケースが一番多いように存じます。例えば当所では今まで、夜逃げの直後の部屋に立ち会ったことが数回あります。中でも今の今まで食事をしていたらしく、電気もテレビもつけっぱなし、テーブルの上にはまだ温かいごはんと味噌汁が置いてあったりした部屋などは印象的でした。

夜逃げと言うものは一見何か意味があるように見えて、実は何一つとしてメリットのない行為です。まっとうな転職先に就けるわけでもなく、奥さんや子どもを含め住民票の提出もできなくなります。また夜逃げの場合、借金は時効にはなりません。利息が加わるのはまだいい方で、ときには暴力団の息のかかったような悪質な取り立て屋に債権が譲渡されるケースもまま見受けられます。

上述の件と言うのはさすがに数多くはありませんが、よくあるものとして任意整理の交渉中にお客さまが行方をくらましてしまうケースが挙げられます。債務整理について打ち合わせも終わり、着手金もお支払いいただき、いざと言う段階になってふつりとお客さまとのご連絡が途絶えてしまうと言ったかたちです。当所としてはこれが最も困惑します。

なぜなら、お客さまと音信不通になってしまったため、当所としては委任手続きを辞任せざるを得なくなるためです。そして「仕方がないので辞任する」と言う段階になる頃に、なぜか概ねのお客さまが戻ってくるのです。

どうしても連絡が取れないため「さて、どうするか」と腕組みをし始めるや「先生、あれどうなりましたかね」と公衆電話などからかけてこられます。

このようなケースが正直に申し上げて最も困惑します。
ただし、当所としてはあまりお客さまを責めるわけにはいきません。蓋(けだ)し、借金を負って、毎月それを支払えない状態と言うものは債務者にとっては特殊な精神状態に置かれると当所では捉えています。

食事をしていても、遊びにでかけても、絶えず頭の片隅に借金の問題が残り、精神的に重圧を受ける。それと同時にあまりにも債務が滞ると今度は恫喝まがいの取立てが来る。これでは何もかもを忘れて逃亡したくなると言う気持ちがまったく分からないと言うわけではないのです。

しかしそれは責任の放棄と言うもの。ましてやせっかく債務整理までご依頼していただき、精神的な重圧から後一息で解放されると言う段階まで来たのに、すべてを投げ打って何もかもおじゃんになってしまうと言うのはあまりにももったいないと当所では思っています。それに、何よりも責任を放棄すると言うことは、その人を惨めにさせます。哀しくさせます。

「Aさん(仮名)47歳 元居酒屋経営」がこのパターンでした。

詳しい金額などは省きますがAさんの場合、多重債務の手続きで任意整理を行いました。Aさんご自身は地方の御実家に戻り、アルバイトなどの仕事をしながら圧縮された債務を毎月返済をしていくと言う算段だったのです。そして実際、毎月返済は行われていたようです。

その後、しばらくしてから当所がAさんの元のご自宅の前を通ったところ、かつて当所が借金の減額交渉を行った金融業者の一人が、胡乱(うろん)な足取りで玄関の前を行ったりきたりしていました。
「こんにちは」と挨拶されたので、私も目礼を返しました。

お互いにあまり仲良くしたいとは思わない職業同士です。このような相手から接近してきた場合には何がしか「挨拶をしたい」何かがあると言うことでしょう。内容も大方の見当はつきます。先方ももちろんそれは重々承知しているようで、苦笑交じりに肩をすくめてきました。

「Aさんの借金の件なんですけどね……」
そらきたとばかりに私は内心で身構えました。ところが、
「完済したんですよ。ついさっき」
言われた途端、私は内心で肩透かしを食らいました。
「それはよかったですね」
と、返事が思わず口をついて出たのですが、業者は渋面で首を横に振ったのです。
「いや、それがねえ……」

そう言いながら、片手に持っていた紙片の上部をちらりとこちらに見せました。
A4版のペラ紙一枚の上部に、昔ながらのドットが潰れた文字で『完済証明書』と大きく標題が記してありました。
「問題ないのでは? どうもおめでとうございます」
私が述べると先方はまたも苦虫を噛み潰したような顔で首を横に振ったのです。
「いえね、これ、サインが入ってないんですよ」

業者いわく、減額後、借金の返済を続けていたのはAさんの奥さんと言うことでした。子どもを養いながら、必死でパートをして借金を返していたと言うのです。
当のAさんご自身は何もせず、実家でのんびり暮らしていたとのことでした。

しかし完済証明書などはどちらかと言えば形式的なものです。完済できたかどうかなどは、調べてみればすぐに分かるため、それで何か問題が生じると言うものではありません。
「それはまあ、そうなんですけどね……」と歯切れ悪く業者が返しました。

借金を返済した奥さんの言い分によれば、完済証明のサインを入れるべきなのは奥さんではなく、Aさん本人だ。だから、Aさんに最後の一筆をいれさせるべきだと、とのことでした。
「それでほら、私、奥さんから手紙預かっちゃいましてね。旦那さんに渡してくれって」言うと、業者はもう一度手の角度を変えて、完済証明書の標題を私に見せてきたのです。よく目を凝らしたその瞬間、私は気づきました。
「完済証明書」と銘打たれたその文字が潰れて見えるのは、何も昔のFAXプリンタなどで文書を打ち出したからではなく、水滴でインクが滲み、紙がよれて文字が潰れていたのです。
ちょうど涙の大きさに丸くいくつも残った水滴の跡を目の当たりにして、私は思わず天を仰ぎ、嘆息しました。

「やっぱり、Aさんの実家まで行かないといけないんでしょうね」
業者はつぶやくとまた小さく会釈して、その場を去ってゆきました。

今になっても時折、私はこの件を思い返します。

なぜあのとき、業者が別れ際にあんなことを言ったのか、私は存じません。
手紙は内容証明で送れば届きます。業者が無理をしてまで自分の足を使って、地方にあるAさんの実家にまで出かける必要はないのです。

しかしこの業者もきっと、とことん悪意があると言うわけではなく、むしろどこかに人情のようなものがあるのでしょう。

私はこのとき、債務整理の任を果たしました。また、Aさんの奥さんはたった一人でパートをしながら子どもを育て、さらに借金の返済をしました。業者も業者なりに自分の仕事をまっとうしたのでしょう。その上、苦労の果てに借金を返した奥さんから手紙を託されると言うことで、人として何がしかの責任を感じたのかもしれません。

借金をすることそれ自体は悪いことではありません。家族の養育費のため、友人の入院費のため、事業を立ち上げるため、多くの人が未来からお金を前借りしてきます。

また、世の不条理に遭って借金が返せなくなることも悪いことではありません。人間は生きている限り、思うようにいかないことだらけなのです。

しかしその上で、責任をまっとうしない。まっとうする意思がないというものは人を哀しく、惨めなものにさせます。他の誰でもありません。借りた当人を惨めにさせます。

あの涙で皺のよった紙片を思い出すたびに、私はそれを痛感するのです。

ページの一番上へ